大学とは

2年間の娘の大学受験が終わった。

娘の出身校は大学の付属高校だったが、行きたい学部がないので他校の外部受験にトライした。
1次募集で全滅した。私は2次募集を受けるように勧めた。2次募集は定員も少なく1次募集に比べて偏差値も跳ね上がる。 合格する訳がないとは思った。娘は既に心が折れていた。もう気力も集中力もない。「もう受けたくない」とわんわん泣いていた。 「浪人したいなら言うこと聞け」と親父が説教して無理やり2次試験に行かせた。
やはりすべて不合格で、結局1年間の浪人生活が始まった。これで娘はすべての大学から排除されることになる。 いままでのやり方では合格の可能性はなかったという現実も知った。すべて不合格なので言い訳もできない。挫折と屈辱と失望感から始める事となった。

廻りの友達は現役で入学した者もいる。本音は悔しくて辛かったと思う。更に親父から無理難題も言われて平穏では無かったろう。 私の娘だから頭は良くない。要領も悪い。それでも客観的に見て浪人の1年間は挫折感と口惜しさで歯を食いしばっていた。娘ながら毎日それなりによく勉強していたと思う。 最終的には超有名な第一希望大学ではなかったが、その隣の駅にある、行きたい大学・行きたい学部に入学できる事になった。
合格証は自分の力で勝ち取った勲章だ。他人に自慢するものではないが、努力と辛抱の暁に勝ち得た自分を誇りに思えばいい。 これから歩む人生で心のお守りにもなる。

人より1年間、時間を多く要したがそれも良い経験だと思う。屈辱・孤独・失望感を感じながら、希望や見えない未来を信じて努力を続ける辛さ。 娘は多くの感情が交差した1年だと思う。それを若い時に味わえた事は貴重だと思う。


最短距離で進み、廻り道をしない事が人生で重要な訳ではないと思う。
ストレートで順調に進む人生は、客観的な評価は高い。確かに優等生ではあるが、本人が幸せになれるかどうかは別。 社会に出れば、スタートラインは同じでも人生を歩むスピードは人によって違う。
廻り道をすれば、いつも見られない風景と出会えるかもしれない。新しい発見もある。価値観が変わるかもしれない。 人間が豊かになるかもしれない。長い人生の中での少しの廻り道。それは豊かで楽しく、貴重な体験が多い。だから廻り道も無駄ではない。
 

私は、幼少期に英才教育を受けた。自分で言うのも変だが高校までの成績は比較的優秀な方だった。大学までエスカレーターの付属私立高校にもいくつか受かったが、 結局バイクに乗りたくて校則が自由な国立の高校に入った。
入学と同時にサッカー部に入り、16になると直ぐに憧れのバイクの免許を取った。バイクのローンを払うためにアルバイトも始めた。 当然成績は急降下する。担任からは留年と言われた。失望感と絶望感が襲う。それでも部活顧問の配慮でギリギリ進級できた。 頭は悪いが出席率は高く、部活は毎日出ている。基本は真面目な生徒だったからだ。
それを2年続けた。2年目は流石に焦った。 ここで異変に気が付く。何かがおかしい。焦りはあるのに勉強ができない。机に向かっていられない。教科書を見ても全く頭に入らない。 突然掃除を始めたり、夜中に買い物に行ったり・・・
もともと勉強は苦手では無かった。留年の焦りはあるのに勉強する集中力がまったく出ない。おかしい・・・

後でわかった。バーンアウト(燃え尽き症候群)ということに。頭ではやらなければいけないことをわかっているのに、身体が拒否をする。
でもメンタルは留年したくないので不安で仕方ない。。中学までは何時間も勉強してたのに、今は気持ちはあるのに10分も机に向かっていられない 補講をしてもらい追試を何回も行い、奇跡的に仮進級させてもらい、卒業も「卒業延期」という処置でなんとか3年間で高校を卒業できた。これは本当は奇跡ではない。私に未来をくれた先生方の恩情でしかない。今でも感謝してもし尽せない。

私は本当は大学には行きたかった。でも入学する学力は当然ない。勉強もできない。
浪人と称したフラフラする人生が始まる。数年後興味があった旅行会社に就職をした。 社会に出たことで人より早く大人になった気がした。
しかし、私の仕事の許容範疇や、与えられている現状の仕事のままで将来を考えた時に、未来への希望よりも人生の喪失感の方が大きかった。 成人式も仕事で出られなかった。本音は出たくなかった。夢を持って楽しそうに大学に通う同級生と会いたくなかった。

心は現実逃避を続ける。しかしその時に本当の自分に気がついた。
自分が希望を持つために、これから生きていくために、本当はどうすべきなのか?自分に何が必要なのか・・・
これからやりたいことをするためにもっと知識を付けたい。自分の本当にやりたい人生から逃げたくない。自分の居場所はここではない。 自分で仕事をおこしたい。大学に行ってみたい。人生をやりなおそう。

9月に旅行会社を辞めて。受験勉強を始めた。残りは4か月しかない。
歴史等の記憶が勝負になる学科の受験ではもう時間が無い。もともと理数系だったので数学受験にした。
数学なら設問が少なく配点が多いので、問題に恵まれれば高得点の可能性はある。当時はまだ多くは無かったが、数学受験で経営学部を受ける事にした。 不思議な事が起こった。
勉強ができる。机に何時間も向かえる。勉強したいと心から思った。心と身体が一致したのを感じた。勉強する事が自分の居場所を変えられる未来への希望と気づいたから。


そして私は3年遅れで大学生になった。 お世辞にも難関大学とは言えないがそれでも私には充分だった。すごく嬉しかったし自分に誇りも持てた。
友達も出来た。再度未来への準備ができた。大学生活はそれなりに充実していたし、講義も真剣に受けていた。 授業が自分の将来の役に立つ。それを体感していた。一度社会を知ったからこそできた体験だと思う。
人生の忘れ物を取り戻した気がした。


コメディアンの萩本欽一さんは70を過ぎて大学に通っている。 成績はほとんど(優)だそうだ。
しかし成績の良くない教科は、単位が取れるにも関わらず、わざと試験を受けないそうである。そして留年する。

欽ちゃんにとって大学は・・・
「理解できない教科の単位を取る意味は無い。理解していないのに単位を頂こうとは思わない。私は学ぶために入学した。 単位をもらうのは理解をしてから。」そう考えているようです。 欽ちゃんにとって、学ぶことに時間制限はないのだ。

一方で通常の学生は学ぶことより、大学の卒業証書の方が大事なのだろう。
浪人や留年は就職や人生のペナルティーになると考えている。 遠回りする事は人生の不利になると考える。だから今学ぶことより最短距離で卒業証書をもらうことの方が最優先。

終身雇用が崩壊した今、最初の企業に就職する意味は実はそれほど大きくないと思う。
たった1回の就職の為にそんなに生き急ぐ必要が無いということに、まだ社会経験が無い学生は気が付かないと思う。
有名大学 ⇒ 有名企業 = 幸せな人生 ではない。
個々のスキルの向上 ⇒ やりがいのある仕事 = 充実した時間 なのである。
一流大学の電子工学部を卒業して超一流IT企業に就職したまではいいが、「3年後に製造部から経理部に転籍」なんてよく聞く話だ。 有名企業に入社したのはいいが、必死に大学で勉強してないから知識も薄く、企業の研究開発部では開発者として使えないレベル。仕方無いので総務部に移動。 大学4年間で何を学んだんだろう?企業や社会が求めた大学卒の人材は、それなりの知識と能力を必要としたはず。
一流企業への就職だけが目的だったのか?自分の未来の為に大学で学んだのではないのか?
それとも一流企業で働けるなら工学部を出て総務課でもいいのか?そういう価値観も否定するつもりは無いが・・・

大学の意味とは
知りたいことを学ぶところ。4年で卒業する必要もないと思う。 これから社会に出て就職を考えている者たちはそうは思わないだろうが・・・
あくまでも私見だが、現代の世の中では「大学の卒業証書やブランド」に自己満足と就職活動以外の意味は見いだせない。 30歳を過ぎて「俺は一流大学の卒業だ!」なんて自慢している奴に、「この人は凄い」とは誰も思わない。ハーバードやMITでも出てれば別だが・・ 「ふーん。勉強できたかもしれないけど、人生の中でそれしか誇れる物が無いのね・・・」と感じてしまう。 社会人になってレスペクトできるのは出身校ではなく、仕事内容や社会的ポジションや個々のスキルであるべきなのに。

また大学で学ぶものが無い人達には、こだわる必要の一切ない場所でもある。 大学の卒業証書は人生を幸せにはしてくれる物ではない。だからコンプレックスになる必要もない。 成功したベンチャー社長などは、高卒や大学中退がゴロゴロいる。

学ぶものがある者たちには、大学での時間は幸せだと思う
知らないことを学べる事。好奇心を満たすこと。そして大学で学んだ知識を礎に、自分の力で未来を豊かに切り開いていく。 欽ちゃんだけでなく大学とは本来そうあるべきものだと思う。 娘も大学生活で多くを学び、経験し、充実した時間を過ごせる事を親心として切に願う。

一度社会に出た人も、もし行きたいならば今からでも大学に行けばいいと思う。 むしろ一度社会に出た大人だからこそ知識として必要な事、理解が深まる事が多い。 知識は人生を豊かにするし、生きていくのに邪魔にはならない。学ぶことは刺激であり楽しい事でもある。
会社経営などしてみると、経済学・心理学・語学含めて「もっと知識や経験値が多ければ上手くいくのに・人生が豊かになるのに」と考える事も多い。

40歳でも50歳でも恥ずかしがる事でもない。人と違う生き方をする事はきっと素敵な事。
昔流行った、馬場俊英の「スタートライン」の歌のように 人は何度でもいつからでもやり直せる。何歳でもチャレンジできる。人生は一度きりだ。思い悩むくらいなら、自分のやってみたい事はやってみるべきだ。 大学に行っても、残念ながら自分の廻りや世の中は何も変わらない。でも自分自身は間違いなく大きく変われる。 私の人生の生き方や価値観が大学受験をする事で変わったように、未来が希望に変わるかもしれない・・・

今の私の夢は・・・
娘の大学に教授のふりをして学食に忍び込み、、 授業を終えて学食に来た娘が、カツカレーを無心で喰ってる親父を見つけて、ビックリする顔が見てみたい。




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2019年03月02日付

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