経営者と政治と宗教
前回のコラムがどうもしっくりこない人が多かったようで、今回はその話をしようと思います。
経営者が宗教や政治の話をすると違和感を覚える人が多いようです。
確かに、経営者はその企業の顔でもありますから、宗教色や政治色を強く出す事は、企業にもその色が付くと考えるからかもしれません。
「経営者とは、当たり障りが無く、主義主張が無い方が良い。」という暗黙の理想があるのでしょうか?
私は戦前から続くこの日本独特で保守的な考え方はどうにかならないものかと思う。
経営やビジネスの本当のリーダーや成功者は、
自己勝手な考えや思想を持ち、人と違う新しいアイデア、それを実行する力、人を惹きつける牽引力、自分の未来を信じる自己愛の塊です。
経営者である以上、迎合思想ではなく、攻撃的で、個性的で、主張があり、独自の考えを持って生きていく人種だと思っています。
但し、「社員や取引先、社会や法律と、どう調和を取るか?」という戦略的な技術も経営者は要求されている部分もあります。
協調を取るのは、経営の戦術の話で、個人の思想や主義主張とは一線を引くべきであると思います。
仮に従業員・労働者が、宗教に染まっていたり、政治色が強かったり、主義主張が変わっていたり、
病気や障害を持っていたり、LGBTであったとしても、会社組織において、廻りに迷惑をかけず、仕事をきちんとしているならば、
「貴方はおかしい」と言って経営者が解雇したり、差別するような事は絶対に許されません。
一方で、経営者個人の発言が上記の内容であると、「相応しくない」と言われる。
経営者とて、自己の思想や行動を労働者に業務上強制するものでは無いし、既得権益を利用して他人に押し付けるものでもない。
あくまでも思想は個人の自由なはずである。
政教分離という言葉がある。政治と宗教は分離すべきという事である。
政経分離という言葉はない。それは政治と経済(経営者)が今も昔も深く結びついているからです。
本来、経営者のあるべき姿は、事業を発展させて、企業を拡大し、売上と利益を増やし、多くの雇用を保証し、
税金を多く払い、国の発展に寄与する事が大事な役目である。
日本は民主主義である以上、民間企業の経済活動における税収入が重要である。
国の発展=経済活動=税収=民間企業経営 という構図が存在するのである。
日本の税収は約50兆円である。企業利益から支払われる法人税収は11兆円。
その内トヨタだけで7000億円払っている。三井住友や三菱UFJ、みずほグループの大手ファイナンシャル3社で1兆円の税収がある。
当然、これだけ国に貢献していれば経営陣や企業において、政治的な思想を元に、国の方針や政治への介入が全く無いとは言えない。
バブルの清算時に不良債権処理で多くの銀行や信用金庫が仕方なく併合されたにもかかわらず、
大手都市銀行に対しては公的資金を大量に投下して銀行を救ったのも、これだけの税収を国に支払っているからである。
不公平感は否めないが、銀行救済時に支払った公的資金額以上の税金を銀行は既に国へ納付している。
もし大手銀行を潰していたら、今日の税収は無くなっているのである。
その主導は当時の大蔵官僚の判断だけでなく、銀行の頭取達の意見や政治家への働きかけがあったからこそ実現した。
税収の大きい企業ほど、国に対する要望や、法律の制定に関して意見や思想を持っているであろうし、行動も起こせるのである。
少し脱線しますが・・・
渡邊喜美は「みんなの党」の党首だった。
「みんなの党」は自民党・民主党に次ぎ、第3の党として影響力もあり発展途上の党だった。
しかし党を運営するには、大量の資金が必要。
某化粧品メーカーの会長から8億円の借入を行い党の運営費に使っていた。
8億もの資金は政治資金報告書に記載すべき内容だ。しかし、政党ではなく、渡邊喜美個人の借入という事で記載していなかった。
恐らく記載したくても出来なかったのだろう。
一個人からの多額の支援を受けているとは書けない。
「みんなの党」の政治的思想はリベラルであるべきで、支援している個人の主張が政治に反映するイメージを避けたかったのだろう。
ある日、渡邊喜美の政治活動がメーカー会長の逆鱗に触れる。
制裁とばかりに8億円の内情を週刊誌に暴露された。
その後「みんなの党」は解散を余儀なくされる。渡邊喜美はその後の選挙でも落選した。
メーカー会長の実害はゼロだ。
実際は、渡邊喜美は操り人形だったに過ぎない。
経済界の人間は、自分が表に立つのではなく、誰か他の政治家を影で使う。
そこで国の施策や、政治をも経済力でコントロールしていく。
経済力のある人間は、政治すら言葉では言わずに実力で支配していくのである。
世の中は綺麗ごとだけではない。
これも現実であるのです。
一方で、私のような中小零細企業の社長が、国に対して意見を言っても影響力は当然ゼロである。
社会的影響がなくても、一個人として自由な発言は許されるべきなのです
私は日本国民である個人個人が、自分の意見を言う事は大事であると思う。
自分の選挙権を大事にしてきちんと投票に行く。
国の将来を憂い、戦争や平和、この国の未来の考えを述べる事は、経営者とか地位や立場に関係なく自由な権利であり重要であるとも思っている。
経営者だからといって自分の主義主張を発言する事をタブー視するような世論や思想は美徳でも何でもない。
最後になりますが、今日は終戦記念日です。
靖国神社や知覧特攻平和祈念館には、特攻隊員の遺言が残されている。
その中の一人「上原良司」という特攻隊員がいました。
慶應義塾大学から学徒出陣で戦争に駆り出された反戦の特攻隊員。
是非彼の「所感」を読んで欲しい。
非国民と言われることを覚悟で、死に行く前、言葉にできない心の中を紙に託しました。
言いたいことを胸に秘め死を迎える。
戦後に文章が公表されることになりました。
ファシズム真っただ中の戦中日本において敵国である自由主義への憧れ。日本は必ず戦争に負ける事。
恐ろしいほどの先見の明と、とても22歳の若者が書いたと思えないその内容が激しく胸を打つ。
「思ったことを話せる自由」
「意見しない事が美徳と考える風潮」
平和な今だからこそ、もう一度考えて欲しい。
私のこの意見に賛同しなくてもいいんです。それも大事な自由なのですから
悲しく残酷な戦争に身を投じて
現在の平和な日本の礎を築いてくれた先代の人々に
哀悼の意を捧げます。
次回へ
2017年8月15日付